(引用 ヤフコメより)
>杉原氏が独断でやったというよりも、日本ならではの本音と建前の中で行われたと考えたほうが分かりやすい。そもそもビザを発給されていても、日本が認めなければ入国はできなかったはずです。日本としては、公に許可はできないけれど、君がやるなら止めないよ、というスタンスだったのだろうと推測さります。
杉原が勝手にやったなら日本としてもドイツに対しても顔が立つし、帰国後、杉原にやめてもらえばいいだけだ。杉原氏もそこまで分かっていてやったのだと思う。ただの反逆者ではなく、本当の意味で自己犠牲ができた素晴らしい人だと思う。日本のスタンスも、誠に日本らしく、かなかのものだ。
>実際には杉原千畝氏が発行したビザには問題があるものも多く本来なら無効となるものも非常に多かった…
しかし杉原氏の硬派ぶりに親しみを感じていた松岡洋右外務大臣やナチズム、反ユダヤ主義に嫌悪感を持っていた平沼騏一郎内務大臣の尽力もあってユダヤ人たちの上陸が認められました。
杉原千畝氏の功績は当然賞賛されるべきだけど『命のバトン』を受け継いだ人たちの功績ももっと語られるべきだと思う。
もっとも松岡外務大臣も平沼内務大臣も戦後はA級戦犯として訴追されましたし、杉原の行動を黙認した上でドイツのゲシュタポから杉原を守った来栖三郎駐独大使も公職追放されていますからね。
ある意味本来なら杉原氏の行動を認め、庇うべき立場だった人が戦後軒並み失脚したという事も杉原氏の不遇の要因の一つとされています。
それと杉原氏自身が沈黙を続けたことも不遇の一因と言われています。
>本省の許可なく、ビザを発給したのでしょう。
日本は、ドイツと同盟していたわけですから、国としては、称えることはできなかったはずです。
依願退職ですが、実効的には、圧力が有り有無を言わせぬものだったことが容易に推定できますね。
本人も、「整理対象に入っている」とメモしておりますから、、、。
この事実を記したメモが、淡々と事実を語っていると思います。
本人も、本国からの許可の電文が届かないことから、ある程度覚悟の上だったかも、。歴史とは、このように、事実は断片的にしか記録がないものでしょう、、。
ニュース記事)
https://www.asahi.com/articles/ASMBP4DZWMBPUTFK007.html
「命のビザ」発給後、被整理者に 杉原千畝の履歴書発見
大久保貴裕
第2次世界大戦中にナチスの迫害を受けるユダヤ人に「命のビザ」を発給した外交官・杉原千畝(ちうね)氏(1900~86)の履歴書が新たに見つかった。帰国後に外務省を辞め、参院事務局の職員に転職したことが判明。外務省は杉原氏の退職理由を「不明」としており、ビザ発給後の杉原氏に関する史実解明につながる可能性がある。
発見されたのは杉原氏が参院に提出した履歴書と、勤務実績を示す人事記録の計2枚。参院事務局が7月下旬に見つけ、遺族や関係者でつくる「杉原千畝記念財団」が21日公表した。
杉原氏は1940年、赴任先のリトアニアで日本の通過ビザを多数発給することでユダヤ人約6千人を助けたとされる。47年4月の帰国後は、NHKや商社などの職を転々としたが、49年2~10月に参院資料課で主事として勤務したことが新たに判明した。
履歴書では外務省の退職理由を依願退職としつつ、「(47年)3月の行政整理に際し被整理者に予定せられたる」と記載。ビザ発給後、帰国前の段階でリストラ対象者とされていた。
退職理由は従来、ビザの多数発…
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